4. 総括
 本研究の主な結果を以下に要約する.

1)大学長距離走者のストレス評価(経験頻度×嫌悪度)について実力発揮度の低群は高群と比して,練習,周囲の期待,および試合の3因子において高く評定した.
2)試合前に遭遇するストレッサーに対する対処方略利用について,実力発揮度の低群は高群と比して,離隔型および逃避型において高い評定が見られた.
3)試合前のストレス反応において,実力発揮度の低群は高群と比して,全7下位因子において高く評定していた.
4)調査対象者全体について,試合前のストレス反応の増大に正の寄与の有意だったストレッサー因子は,練習,対人関係,および競技生活の3因子であった.また,ストレス反応の増大に正の寄与の有意だった対処方略因子は計画型,逃避型,離隔型,負の寄与の有意だったのは対決型であった.
本研究結果から,重要な試合場面における実力発揮の低下には,ストレッサー(試合結果の不確実さ,不満足な練習消化状況,周囲の期待)の否定的な認知的評価,直面した問題からの回避的な対処行動,およびストレス反応の増大が関連する,と結論された.

 重要な試合場面における心理的ストレスには,認知的評価が媒介するため,その発生過程は多様な個人差がある.特に,認知的評価と対処行動は状況と人的要因が複雑に関連し合うため,多変量解析による大標本調査には限界があり,個別事例研究に基づく詳細な検討も今後必要となろう.本調査ではSarasonのテスト不安理論20,21)に基づき検討を進めたが,最近のテスト不安理論においてはテスト状況の認知とスキル失調を問題とする「スキル説」1,12,13)が提案されており,課題遂行中のスキル変数についても今後検討を要する.また,本研究ではLazarus式の対処方略尺度14)を用いたが,競技場面の対処行動を理解するには限界があり,信頼性かつ妥当性を有する尺度開発が今後望まれる.さらに,試合レベルやその重要性,そして対象競技者層(発達年代,レベル)によって遭遇するストレッサーや利用可能な対処方略もまた変化することから,発達差および習熟差を考慮したストレス対処研究の新たな枠組みの提案が求められる.


5.. コーチング場面への提言

先行研究の知見および本研究結果から,コーチング場面における試合情況での競技者心理の理解のために,次のように提言を次に行う.

1) 実力的に発展途上にある者に対しては,競技成績や記録の達成を強調しすぎることでテスト不安による妨害反応を増大させることを避け,個々人の特性を考慮した上で,目標(試合)と手段(練習・日常生活)を合理的に関連づけ,競技遂行に自己効力感を持って臨めるよう支援すべきであろう.
2) 個人の努力による統制可能な課題や情況であるならば,選手の特性に応じて,それを段階的に克服できるように,認知的あるいは行動的スキルを習得することが有効である.しかし,統制不能あるいは困難度が高い課題や情況の場合は,個人の努力による対処に期待しすぎると無力感を高める危険性がある.
3) 試合場面での競技不安の増加は個々人によって多様であるが,指導者はいたずらに不安の否定的な側面や不安低減に目を奪われることなく,選手個人が「なぜ,どのように,どういう場合に」不安を抱いているのかという背景を共感し,選手の内面への理解に近づくよう努めるべきであろう.
4) 大学長距離走者の心理的ストレスについては,競技成績や練習情況の成否がストレス反応の程度に直接的かつ表層的に関連すると考えられる.しかし,より広い視点に立つと,個々人の抱えるストレスの程度には,競技および日常生活における自律性・適応性,相互支援的な対人関係,そして将来への展望など,大学生年代における成熟した心理的発達の水準が背景として関連すると考えられる. 従って,コーチング場面においては,単に競技成績の優劣や技術・戦術指導に終始することなく,競技生活を通じた内面的成熟を見据え,コーチ?指導者関係を築くことが期待される.


注1) ストレス学説:環境と個人の相互作用を重視するLazarus と Folkman7)のストレス学説(transactional モデル)では,「ストレッサー→認知的評価→対処→ストレス反応」という,「刺激(S)→人的要因(O)→反応(R)」の枠組みで心理的ストレスと対処・適応の関連性を捉えている.ストレッサー(ストレス源)とは,ストレス刺激のことであり,人的要因に正負の負荷を与える内的および外的要因のことで,良性(ユーストレス:Eustress)と悪性(ディストレス:Distress)がある.認知的評価(cognitive appraisal)とは,ストレッサーに対する主観的評価であり,一次的評価(脅威か,無害か)と二次的評価(コントロール可能か否か)に大きく区別される.対処(coping)とは,特定のストレッサーの解決や低減向けられる心理的努力のことであり,主に問題中心の対処(ストレッサーの問題の所在を明らかにしたり,その解決を目的とする対処)と情動中心の対処(情緒的な苦痛の低減を目的とする対処).がある.ストレス反応とはストレッサーが人的要因に及ぼす生理,心理,社会的な影響であり,かつ短期的?長期的影響に分かれる.
注2) テスト不安(test anxiety): 1950年代からYale大学のSeymour Sarasonを中心に「テスト不安」研究がなされてきた.その弟のIrwin Sarason19)は,Mandler 10)およびMandler & Watson 11)の妨害理論(theory of interruption),そしてWine27)の注意説を発展させ,試験状況の評価的脅威の程度(彼らはevaluational stressorsと呼んでいる)を問題とし,試験が個人にとって驚異的なものか否かを評価することによって妨害反応が生じると考えた5).この説は一般的に認知説と呼ばれる18)


                
引用・参考文献/URL
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